2015年10月30日 0時00分00秒 (Fri) 母
ずっと生まれてこなきゃよかったとか、親に対してなんで産んだんだろうかと恨めしく思っていましたが、
お腹の子と一緒に過ごすようになってから思うことは、
もっと母に対して優しくすればよかったな、ということです。
こうして欲しかったとか、忙しくしている母に勝手に出来る人・出来て当然の人という私自身の劣等感に近い何か複雑な思いを持っていたけど…けれども、きっともっと私自身が労っていれば、少し変わったのかな、とも思うのです。母もきっと必死だったのでしょう。ひとりの人間。それを知っていたのに、不満ばかり持っていて、やっぱり自分のことしか考えていなかった私は、子どもだったということでしょうか。
全ての責を親に問うこと自体、自分勝手だったなぁ、と。
親もまた人間で、子を産むということも親の単なる選択ではなく、人間が持つプログラムに則ったもので、またそれは親以外の何かの意思で動いていることが多々あるということを、私はぼんやりと理解しつつあります。
だからと言って、生まれてきてよかった!なんて思うわけではなく、やっぱりネガティブな思考は止められないけれども、無責任にどうでもいいや、私の勝手だ、とは思わなくなりました。勝手にできることなんてそう多くはない。
自分が親として責任逃れをしたいわけでもないですし、この子に私は労って貰いたいとか、大事にしてとか言いたいわけではないのです。ただ、この子は私の子どもだ!というにはおこがましいように感じています。
この子は預かりものなんだな、と。
私たちは出来ることをして、私たちを通過していけばいい。
お腹の子と一緒に過ごすようになってから思うことは、
もっと母に対して優しくすればよかったな、ということです。
こうして欲しかったとか、忙しくしている母に勝手に出来る人・出来て当然の人という私自身の劣等感に近い何か複雑な思いを持っていたけど…けれども、きっともっと私自身が労っていれば、少し変わったのかな、とも思うのです。母もきっと必死だったのでしょう。ひとりの人間。それを知っていたのに、不満ばかり持っていて、やっぱり自分のことしか考えていなかった私は、子どもだったということでしょうか。
全ての責を親に問うこと自体、自分勝手だったなぁ、と。
親もまた人間で、子を産むということも親の単なる選択ではなく、人間が持つプログラムに則ったもので、またそれは親以外の何かの意思で動いていることが多々あるということを、私はぼんやりと理解しつつあります。
だからと言って、生まれてきてよかった!なんて思うわけではなく、やっぱりネガティブな思考は止められないけれども、無責任にどうでもいいや、私の勝手だ、とは思わなくなりました。勝手にできることなんてそう多くはない。
自分が親として責任逃れをしたいわけでもないですし、この子に私は労って貰いたいとか、大事にしてとか言いたいわけではないのです。ただ、この子は私の子どもだ!というにはおこがましいように感じています。
この子は預かりものなんだな、と。
私たちは出来ることをして、私たちを通過していけばいい。
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